設立主旨

岩垂奨学会の創立者岩垂邦彦は、昭和の初めの頃、つぎのようなことを考えた。

「世間の親は自分の子を、大学まで卒業させるため、あらゆる努力を惜しまない。しかし、一旦子が大学を卒業すると、今度は子供の世話になり、その家計までも子に依存する親もある。これでは真の技術の進歩発展を期待することはできない。それでもし大学を卒業して後、さらに数年大学院に残って、自主的に研究することができれば、よりよく国家有用の人物になることが出来るであろうと考えた。」

そこで、岩垂邦彦は大学院学生の奨学を始め、家計に煩わされずに、自由に研究できる環境を与えようと決心して、昭和9年3月に財団法人岩垂奨学会を設立した。その構成は、理工学用基金と医学用基金に分かれ、それぞれ額面で50万円の有価証券の寄付を基本とした。具体的には配当収益で東京大学・京都大学の理学部・工学部・医学部の大学院学生に奨学金を贈ることを目的とした。

その当時は、大学の学生に対する奨学金制度は他にも沢山あったが、大学院学生に対する奨学金制度は初めてであるといって両大学に大変に喜んで頂いた。この奨学金は返済を必要としないものであったのみならず、当時の大学卒業者の初任給より多い奨学金を贈ったので、奨学生からも大変喜ばれた。

毎年100名ぐらいの人が奨学金を受け取っていた。

岩垂邦彦の長男 岩垂好徳氏の
「父岩垂邦彦の思い出」より