はじめに

 岩垂奨学会は1934年3月15日、 東京帝国大学と京都帝国大学の2大学の理学部、 工学部の大学院学生に対する奨学金制度として創設された。
 1940年末の寄付行為の変更により、 医学部の大学院学生も給付対象に加えられた。
 1945年まで、毎年多数の学生に奨学金を支給した。 記録が失われたため、 1937年から1941年の5年間と 1945年を除き氏名等の詳細は不明となった。
 1946年から1951年までは資産の運用収入が少なく、 大学への給付は中止された。 1952年から1961年までは奨学金給付は行われたが、対象者の氏名は
 不明。 1962年以降は詳細が判明している。 薬学部として奨学金を支給したのは東京大学が1966年以降であり、京都大学は1972年以降である。
 1975年からは名古屋大学も対象校となり、 その後は3校を対象とした奨学金支給が本年まで続いている。
 本年は奨学会創立90周年にあたり、 奨学生OB・OGのその後の経歴について、卒業生名簿やインターネット検索等の公開された資料から網羅的に
 調査した。
 現在2008年の奨学生OB・OGまでの調査を終了した。

1.奨学会創立時から太平洋戦争終戦時までの奨学生について
(記録のある1937年から1941年の5年間と1945年の奨学生)

 当時は複数年にわたる受給者も多かったが、東京大学51名、京都大学32名に奨学金が支給された。
 追跡可能な範囲であるが、東京大学では27名、京都大学では17名が教育機関や公的な研究機関で研究職に進んでおり、東京大学では22名、京都大学では14名が母校等の教授職に就いている。 教授退任後は名誉教授としての処遇を受けている方々がほとんどであった。 米国や台湾で教授職に就いた方も3名いた。 さまざまな研究部門のリーダーとして、それぞれの分野での初代学会長、大学学長、研究所長、天文台長など、優れた業績を挙げられた。企業家として現在まで続く科学技術系の奨学財団を設立された方もいた。
 受賞歴としては藍綬褒章などの褒章、朝日賞などの学術賞、自動車技術会賞などの技術賞を受賞した方々がいる。なお、時代を反映してサイパンでの戦死者が1名いたことを付記する。

2.1962年から1974年までの奨学生について
(現在74歳以上と推定)

 岩垂奨学会による事業は終戦後1962年に再開し、1974年までは東京大学と京都大学2校の理学系、工学系、医学・薬学系の大学院生で各校から推薦された方々を対象に選考し、奨学金を支給した。
 東京大学175名(理学系57名、工学系50名、医学・薬学系68名)、京都大学147名(理学系26名、工学系38名、医学・薬学系83名)の奨学生のその後の進路については、現時点で追跡可能な範囲であるが、理学系では83名中52名が教育機関、研究機関で教授や研究所長として活躍している。
工学系では88名中21名が教育機関、研究機関に進んでおり、また26名が企業で研究職に従事している。
医学・薬学系では151名中62名が大学病院、医学部、薬学部、国立研究機関などで教育者、研究者になっており、企業研究職や勤務医、開業医などの自営業も39名を数えた。
 この期間の奨学生から、ノーベル賞受賞者や、国内では朝日賞など、海外ではアムジェン賞などの学術賞の受賞者が多数出ている。
文化功労賞や日本学士院賞を授与された方もいる。

3.名古屋大学も対象校となった1975年から1988年(昭和63年)までの奨学生について(現在60歳から73歳位)

 1975年から名古屋大学も岩垂奨学会の対象となり、1988年までの14年間に東京大学222名(理学系69名、工学系69名、医学・薬学系84名)、京都大学208名(理学系53名、工学系64名、医学・薬学系91名)、名古屋大学101名(理学系27名、工学系27名、医学・薬学系47名)に奨学金を支給した。
合計531名中397名について、その後の経歴に関する情報が得られている。
3校に共通して、理学系と医学・薬学系では教育・研究機関に進んだ者が多く、工学系では企業に進んだ者が多い。
教育機関、研究機関に進んだ241名の内訳は、教育機関と研究機関の間で移籍しており、厳密には分類できない事例もあるが、教育機関194名、研究機関47名であった。
教育機関では、東京大学の87名中74名が各校の教授職に就いており、東京大学教授は10名であった。
同様に京都大学59名中47名が教授職、京都大学教授は8名、名古屋大学48名中42名が教授職、名古屋大学教授は11名であった。
研究機関の47名は、産業技術総合研究所、理化学研究所、宇宙航空研究開発機構(JAXA)など数名ずつ所属しており、他には日本原子力研究開発機構、核融合科学研究所、国立医薬品食品衛生研究所、国立天文台、国立科学博物館、国立民族学博物館、情報通信研究機構、自然科学研究機構など、多岐にわたっている。
 受賞歴としては、紫綬褒章を授与された方が3名いる。基礎生物学の研究で受賞された方が2名おり、電子技術に関連した発明で受賞された方が1名いる。学術賞では朝日賞が2名、他にもベルツ賞、大阪科学賞などを受賞された方がいる。

4.1989年(平成元年)から2003年までの奨学生について
(現在44歳から59歳位)

 東京大学237名、京都大学335名、名古屋大学109名に奨学金が支給された。
京都大学では79名の中国人留学生(おもに医学系)に奨学金が支給されたが、その後の進路については不明である。
集計から除外し京都大学は256名とした。
 602名中379名について経歴の情報が入手できた。
教育機関に進んだ186名では73名が教授職に就いている。 東京大学で5名、京都大学で3名、名古屋大学で3名が母校の教授に就任している。
研究機関では宇宙航空研究開発機構(JAXA)に7名、国立天文台に3名、産業技術総合研究所に3名、他には理化学研究所、気象研究所、情報通信研究機構、農業・食品産業技術総合研究機構などにも各1名が在籍している。
この年齢層はさらに上位のキャリアへの途上にある方も多いようである。

5.2004年から2008年までの奨学生について
(現在39歳から43歳位)

 東京大学108名、京都大学111名、名古屋大学39名に奨学金が支給された。
京都大学では25名の中国人留学生(おもに医学系)に奨学金が支給されたが、その後の進路については不明である。
集計から除外し京都大学は86名とした。
 233名中143名について経歴情報が入手できた。
教育機関に進んだ59名の現時点での職位は教授10名、准教授24名、助教13名、その他12名であった。
さらに上位のキャリアへの途上にある方が多いようである。
研究機関には17名在籍しており、海外の研究機関在籍者も2名いるが、特定の研究機関への偏りはない。
民間企業に勤務している56名については、ほとんどが奨学金を受けた大学院での専攻を生かした専門技術職として勤務しているが、他の分野に専門を変更されている方や専門分野は同じでも情報技術に特化した業務にシフトされている方も増えているようである。
時代を反映してIT情報技術分野での起業や進路変更した方が6名、投資コンサルタントや経営コンサルタントといった分野に進まれている方も6名いる。